わたしの不妊治療から妊娠に至るまで

不妊治療から妊娠、出産までの奮闘記です。※現在は2人目の顕微授精頑張っています。専門用語よく間違えていますのでご了承ください。

妊娠判定陽性のその後

 

妊娠判定陽性のその後も、一応しばらく体温を計って様子をみていました。

37度まではいかないにしても、36.5度以上はキープしていました。

よく微熱が続いたという情報を目にするけれど、私の場合はそんなことはなかったです。。

 

そして判定2日後には、生徒たちを連れ真夏の灼熱の中、合宿。

山の中を走り込むメニューが中心です。

さすがに走りはしなかったものの、30度超えの中を歩いたり立ちっぱなしだったりと、具合は良くありませんでした。(当たり前か。)

 

私はどうしても、着実に力をつけて成長している生徒を目の前にして、じっとしていることが出来ないようなのです。

ひたむきに頑張る彼らが本当に好きなんだと思います。

その後もクラス指導後になると、オエーッと気持ち悪くなるというのが続きましたが、何かに集中していると大丈夫なんでしょうかね?

 

話しを戻して、顕微授精での妊娠はガラス細工と説明された通り、1週間に1回は採血とエコー検査をすることになっていました。

 

妊娠継続のために2つのホルモンの数値が一定以上にならないと、卒業とはならないという病院の方針。

 

妊娠に至りましたーサヨナラー!

ってならないこと、やはりこの病院と先生は信頼出来る!

 

更に私の場合は、その2つのうちの1つである黄体ホルモンの数値が平均よりもゆっくり上昇していたため、判定日から1ヶ月もかかっての卒業でした。

 

また合宿後には出血してしまい、切迫流産との診断を受けることに…。

 

もうダメなのか?

やっぱり私達はダメなのか?

 

その後2週間の自宅安静ののち、無事に心音を聞けた時の感動と言ったら…。

 

涙が止まらなかった。

 

普通にはしていたけれど、心の中ではやり場のない、どうにもならない気持ちがずっと渦巻いていた。

 

こんなに頑張って生きているよ!と心臓を動かしているのに、私は何故良くないことばかり考えていたのだろう。

自分の子どもを信じなければいけない。

と思いました。

 

また自宅安静の指示が出てしまったため、会社には安定期よりも随分早くに、状況を説明しなければなりませんでした。

みんなが理解してくれて、優しい言葉をかけてくれて、また涙が出そうに…。

この会社に入って本当に良かった、と改めて思いました。

 

 

そしてこの治療の間、親身になってくれたのは、義父。

いつも気にかけてもらい、報告した時は驚いて、大喜びしてくれました。

感謝してもしきれない思いです。

 

勿論、実母も心配し気にかけてくれていたのは間違いないけれど、私が辛いのだろうとあまり話しに出さないようにしてくれていたのだと思います。

その分、妊娠が安定してからは、本当によく気遣ってくれました。

 

そして夫。

普段は本当にフワッとしていて、感情を思いっきり出すようなタイプではないのですが、今回ばかりは私と共に一喜一憂し、涙ぐみ、心音を聞いた日なんかは、帰りの車でずっと心音の後の真似をしていたほど。笑

家のことも、私の仕事はほとんどやってくれるようになりました。

 この人とでなければ、こんな感動を一緒に感じることは出来なかった。

心から、ありがとう。

 

 

写真は義父さんが判定後にお祝いとして、連れて行ってくれた回らないお寿司!

と、実母が戌の日に買ってくれたベルト。

 

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