わたしの不妊治療から妊娠に至るまで

不妊治療から妊娠、出産までの奮闘記です。※現在は2人目の顕微授精頑張っています。専門用語よく間違えていますのでご了承ください。

不妊治療の専門医へ転院!!

さて、お久しぶりです。

体調がいまいち思わしくなく…会社に行くので精一杯で間があいてしまいました><

 

さて今回は、本格的な【不妊治療の病院への転院】から綴っていこうと思います^ー^

 

 

2015年11月20日

 

というわけで、病院からの紹介状を持って、夫と共に県内でも有名な不妊外来へ。

来てみて自分のカルテがあると知って気付いた!

ここは10年前高校生の頃に不正出血でかかった病院だった!!( ゚Д゚)

しかも一度かかって、それっきり来ていないという…。

 

と、そんなことを思い出しつつも笑

とにかく凄い人人人・・・!!!

 

ここの産婦人科は、産科と不妊外来の待合室が分かれており、受付以外ではお腹の大きな妊婦さんと同じ場所で長時間待つ、ということがありません。

そういう配慮なんでしょうね。

 

そして初回から夫婦ともに分厚~いファイルを渡され、これを読んで診察までお待ちください。と言われます。

中身は驚愕!!

 

先生の作った資料!!素晴らしい!

 

それも物凄く分かりやすいんです。

かなりの量でしたが、待ち時間2時間ちょっと掛かりますから、活字が得意な方は丁度良いかもしれません。

メルシー夫は、資料を読むのが大の苦手…笑。ですが、それでも自分の体の問題でもあるせいなのか、分かりやすいので一生懸命読んでいましたよ。

 

そう言えば、前回の検査結果は帰って夫に伝えました。

本人も気にしていたようで、帰ってすぐにどうだった?!と聞かれました。

 結果の紙を見せて、標準の数値と、今回の結果の数値を照らし合わせて説明。

夫「マジか~~~!!!」

とちょっと困惑していました。

「正直自分の方に何かあるとは思ってもいなかった」と。

わたしも何と言って良いのか。

 

ただ、自分が気丈でいないと申し訳ないなと思うようになったのはこの時でした。

 

そして、夫が不妊に対して真面目に考えるようになったのも、確実にこのことがキッカケだったと思います。

(やはりそれまでの妊娠に対する考え方は、そのうち出来るでしょって感じだったと思います。その楽観的な態度にもめたことも2回ありました。笑)

 

 

そんなこんなでようやく診察!

先生は本当にズバズバと言います!笑

お医者さんとは思えないような言い回しでズバズバと聞いてきます!笑

しかしそれは私たちに対する思いやりなんだと感じました^ー^

緊張したり、話しにくいことも、先生の言い回しで笑ったり話しやすくなったり、特に夫の方はそういう風に感じました。

 

そしてまずはもう一度、精液検査をしましょうと。

同時にタイミングを3回。

まずはそれで行こうという話しになりました。

 

まず、男性はサウナはダメだそうですよ~!!

温め過ぎると死んでしまうそうです|д゚)精子君が。

 

そして女性は冷えは大敵だと。

わたしは手足やお腹が本当に冷たくて。

漢方薬をいただきました。

その他、血液検査やエコーで病気の検査もしました。

 

この先生に出会えて、わたしは真っ暗になった妊娠への道に光が差したような気がしていました。

当然、夫と我が家の柴犬と3人の生活でも幸せ。

だけど、出来ることがまだあるならば、やらずに諦めたくないと思ってしまっていたのも事実でした。

この日、また新たに希望を持って頑張ろうと思うことが出来たのです^ー^

 

 

この日の会計 ¥14,060-

 

 

現在 17W4D

 

妊活開始~基礎体温・排卵日予測・卵管造影検査~

 

こんにちは!(^^)

 

本日は前回の転院、

セカンドオピニオンともいうのか?違うのか?笑

そこから本格的に妊活を始めた時のお話をしたいと思います^ー^

 

 

というわけで子宮頸がんと卵巣嚢腫について一区切りついてしばらくたった頃。

再び届いた市の子宮頸がん検診受診券を持って

初めての産婦人科を受診することになりました。

 

ここの婦人科は一番上の兄の奥さんが妊娠時に車で一時間以上かけて通ったほど、

更に二番目の兄の奥さんも出産をしていて

ネットなどでもとにかく人気の産科。

わたしも何度かお見舞いに行ったのですが、先生がとっても優しそう!!

(婦人科の先生には沢山お世話になってきましたが、冷酷な感じの方しか出くわしたことがないので笑、ちょっと信じられない!!というくらい印象的でした。笑)

 

当時は結婚なんて、ましてや出産なんて少しも考えていなかったのですが

自分にもしそういう機会が訪れるのであれば絶対わたしもココが良い!!

と密かに思っていた産科だったのです♪

 

これまでの経過や受けた手術の内容が書かれた用紙など一式持って受診。

先生はお忙しそうなのに、しっかり話しを聞いてくれて、今後はそちら(左卵巣嚢腫)の経過もこちらで見ていきましょうと言ってくれました。

 

子宮頸がん検診は異常なし!

良かった!泣

 

卵巣嚢腫部分については2~3カ月に一度の経過観察という形になりました。

術後に生理は毎月しっかりと周期で来るようになり、体調も崩すことはなくなりました。

 

ただその頃…

結婚をして新婚旅行を済ませたら、子供をと思っていたものの(←簡単に考えていた…)

まったくかすりもせず半年がたっていました。

(この時28歳)

 

ネットで検索して、まず基本的な

基礎体温を測り、ちゃんと二層になっているか。変なところはないか。

・生理がちゃんと周期で来ているか。

・だいたいの排卵日を予測してタイミングをとる。

といったことはやっていたのですが…。

 

3回目の受診の時に、勇気を出して先生に相談。

「あの~ぅ、なかなか子供が出来なくて。」と。

 

先生もしっかり取り合ってくださって、基礎体温のお話しから。

 

まずわたしは婦人体温計が壊れているんじゃないの?!というくらい(ケチって安いのを買ったからかな?とか笑)

とにかく体温が低い!!

35℃台は普通。

上がっても36℃ちょっと越えくらいで、結構ガタガタ。

 

先生に携帯アプリでのグラフを見ていただくと

特に体温は気にしていない様子で、ちゃんと二層になっていればOK!と

わたしは合格だったようです|д゚)

ネットでは本当にみなさんしっかり高温で低いのは良くない!ガタガタも良くない!など色々な情報が蔓延していたので…

本当に安心しました。

 

ただそこから、どのタイミングで排卵しているのかは人によって違うので、

自分の体は体温が下がりきったところで排卵するのか、

または上がった時に排卵するのか、

自分のクセを分析して、そこにタイミングを合わせていかないといけないね。

と教えてくださいました。

なので、月に一回排卵日頃に診察をして排卵しそうなのか、もうしてしまったのか、体温と合わせて観察することに。

 

お医者さんは凄いんです!★

 

先生は確率的には、排卵日二日前が一番妊娠の可能性が高いとも言っておられました。

 

その後3カ月ほど頑張ってみたものの、やはりかすりもしない状態。

この時期は本当に切なかった記憶があります。

やはり出だしが簡単に考えていたこともあり、現実とのギャップに突き当たったことなのでしょう。

夫もあまり気にしていない様子で楽観的だったのもあるかもしれません。

 

その後、先生に卵管造影検査をしてみようかと提案されました。

これもまたネットでとにかく痛くて辛い検査だということが散々書かれていたので知ってはいたのですが、

何をしてでも!!という気持ちだったので、すぐにでも!!といった感じで予約を取りました。

 

とは言え、前日から本当に恐ろしくてたまらず眠れないほど緊張。

 

結果的には、痛かったです。笑

切ったり、チクチクするような痛みではなくて、生理痛のちょっと上を行く重たい痛みです。

子宮部分に風船が膨らんでいくようなイメージ…(←怖い…)

5分くらいだったのかもしれないけど長く感じました~…

 

先生「片方はちょっと通りにくかったけど、今ちゃんと通ったのでこちらは問題なしですよ~」と。

 

あ"ーーーーー良かった!!!泣

 

 この検査のあとは妊娠しやすくなるという噂を聞いていたので、少しまた前向きに

なれたのですが、

やはり次の周期も、その次の周期もダメでした…

 

「◯◯さん(私)の方に特にこれという原因が見当たらないので、ご主人の精液検査だけ、一応しておきましょうか。」

と先生。

 

男性がそういったことに対して女性よりもはるかに抵抗があるということが先生の気遣った言い回しでもよくわかりました。

 

わたしも自分のことはよく調べていたのですが、

男性側のことは全く分からなかったので、看護師さんに詳しく方法を説明していただきました。

 

帰宅して夫に話すと、なんの疑問も持たずに二言返事で了承。笑

良くも悪くも、本当に楽観的な性格なのでしょう。笑

 

ちなみに病気で通っていたわたしにとって

婦人科に男性がいることが、ちょっと不自然に思ってしまっていたことも当時はあり(産婦人科不妊外来に旦那さんが一緒に行くのはごく普通のことだと、通院するようになって知る)

一度も夫と一緒に受診したことがありませんでした。

なので結果も一人で聞きに行きました。

 

先生「ご主人の結果で分かったことは、精子の数がこれだけ。

運動率はこれだけ。おそらく、これが原因かな…。」

 

わたしは予想外の結果に固まってしまいました。

 

先生が見せてくださった結果のデータは、夫の結果とともに、隣には標準の数値が書かれており、夫の数値は桁が違うほど少なかったのです。

 

先生「おそらく体外受精しかないんじゃないかなぁと思うんだけど。どうなるかは分からないけどね。

こちらではこれ以上は出来ないので、紹介状を書きますね。」

 

その時の私にとって、思った以上にことは深刻でした。

 

体外受精の意味すら、どうやってやるのか、なにをするのかもまったく分からない…。

そうしてまた大きな病院へ移るのか…。

また治療から始まるのか…。

 

そして夫に話さなければいけない。

どんな反応をするのだろう。

わたしは出来るだけ気丈にふるまわないといけない。

 

色んなことを考えながら家へ帰りました。

 

 

ただ最後に先生には

「もしこれから治療を受けて、上手くいったら、ここの産院に戻って来て出産は出来るのでしょうか?」

と聞きました。

 

先生は「勿論!ただやはり情がうつるじゃないけど、そこの先生が良いと思ったらその時はそれでも良いし、うちに戻っても勿論大丈夫だよー!」

と優しく言ってくださいました。

 

 

必ずここに戻って来て産む。

 

もしかしたら心の奥底でそれがモチベーションになったのかも知れません。

 

 

 

 

これが2015年の秋のことでした。

次回はまた続きから書きたいと思います。

 

ここまでお付き合いいただき、ありがとうございました!!

 

 

 

現在 12W0D

子宮頸がん発見から、卵巣嚢腫摘出手術までのお話し。

 

こんにちは^ー^

 

今日は子宮頸がんと、卵巣嚢腫について書いて行こうと思います。

 

前回記事の通り引退して地元に戻った頃、

市から無料の子宮頸がん検診受診券が送られてきました。

体のこと、こと女性器官に関してはかなり敏感になっていた時期ですので、すぐに予約をとって受診。

無料なんて本当にありがたい><✨

 

結果は確か2週間くらいで出ました。

再び病院へ行くと、

 

「子宮頸がん、可能性ゼロではないみたいですね~…うーん…治療はここでは出来ないので、がんセンターに紹介状書きますんで早めに必ず受診してください。」

 

まさかの結果に、

 

えっ・・・

 

という反応しか出来ませんでした。

がん??

家に帰り原因や治療について検索。

 

割とすぐに冷静になり、治療するにしてもなんでも、必要なのはまずお金と思いました。

そしてすぐに保険屋に行きました。

(ちなみにこの経験からわたしは保険に関してかなりしっかりするようになりました。

我が家は柴犬・ちゃんかまるまで5割負担の保険証を持っています。←顔写真付きw)

 

初めてがんセンターを受診した時のことは今でも覚えています。

母親にしかそのことは話せず、とても孤独で、外は雪が降っていました。

現在の夫とも友達だったころでした。丁度何かの用事でラインが来てやり取りしていたおかげで、少し気が紛れたことも覚えています。

 

がんセンターで検査した子宮頸がんの結果については、現段階では月に一度の経過観察で行くと。大きくなり始めたら、次のステップに進むという話しになりました。

 

ここはまず一安心…

結果が出たときは本当に救われるような思いでした。

 

ただこの時に、それより気になる部分があると。

高校の頃から言われていた卵巣の腫れ。

 

卵巣嚢腫でした。

 

不思議なもので引退して地元に戻った頃から、生理はきちんと来るようになっていたので、少し驚いたのと、やっぱりか…のどちらもといった感じ。

 

幸い悪性のものではないと検査で分かりました。

 

現段階の大きさではすぐに手術が必要とはならないが、突然捻転を起こした場合物凄い腹痛に襲われ、緊急手術になると。

また予定して手術を受ける場合は、腹腔鏡下手術と言って傷が少ない手術で済むが、そういった緊急手術の場合は開腹手術しか出来ない。

なので現段階の大きさで除去手術を受ける人もいると。

 

妊娠について質問してみると、

そこは何とも言えない。卵巣嚢腫があっても普通に出産してる方もたくさんいる。

とのことでした。 

 

こういった説明を受けたわたしは帰宅してまた検索魔に!

 

手術以外で治る方法はないのか。

捻転はどのくらいの可能性で起こるのか。痛いのか。

手術を受けた人のサイズや理由。

腹腔鏡について。

など、数えきれないほどです。

 

そして幸いにも兄が医師をしているため、相談。

 

結果、一年間子宮頸がんとともに経過を見て、状態が変わらなければ手術を受けることにしました。

 

 

そして一年後、結果的に卵巣嚢腫部分摘出手術を腹腔鏡にて受けることになりました。

市役所や保険屋に事前に行って、お金の準備は万端。

入院に備えて買ったPCとWiFiも持参。

 

丁度、夫とも婚約し、手術の翌月には入籍も決まっていたので、メンタル的には強かったと思います!!

 

前日入院で、退院までは5.6日だったかなと記憶しています。(ごく一般的だそうです)

当日は手術室まで母と一緒に自分で歩いて行きました。

手術室前で、母と握手し、頑張って!と送り出される。

 

コンタクトがだめなので、よく見えない中で本当に怖かった。

 

名前と生年月日を言ってくださいと言われ、今日は何の手術かの確認をされる。

別の患者と間違えて手術をしないための医療ミス対策ですね。

 

次は突然麻酔医が現れて(かなりの老人)、ずっと何かを叫んでる。

実際これが一番怖い!なんだったのか今でも分からない。

脊椎に入れる麻酔のため、わたしがいかにエビのように丸まれるかにかかっている(←というのも手術後に知るw)

らしく、何度ももっと丸まって!と看護師さんに言われました。

 

上手く背中に入ったらしく、今度は全身麻酔の点滴。

酸素マスクをつけられる。

と、空気うっす!!こんなん酸素足りてない死ぬ!!と焦ってはがそうとするも抑えられ、そのまま鼻にツーーーっとアルコールが回ったような気持ち悪い感覚のまま、

落ちました・・・。

 

のちに母から聞くと手術時間は予定の倍かかったそうです。

なんでも、わたしの摘出部分は左だけの予定だったのですが、右にも腫瘍が見つかり、摘出にかかったところ、大出血して、その止血に時間がかかったと…。

それを聞いた時は無事に生きてることで十分で、何にも思わなかったのですが、

今こうして書いてみると、それってよくあることなのかな?と。

なんかその話し危なっかしくて仕方ないような。

 

 

そして最悪なのはここから。

 

 母によると

麻酔が切れて目が覚めると同時に暴れだしたそうなわたし。

 きっと落ちた時の続きの感覚なのでしょう。

 

酸素マスクを投げ飛ばそうとし(←でも首にゴムが引っかかって取れない。から余計暴れる。)、足がかゆいかゆい!!と騒ぐ、そして吐く!!

そしてまた落ちる。

 

その繰り返しを半日。

夜までやっていたそうです・・・|д゚)

 

本当に最悪でした。

麻酔するから大丈夫と侮っていた部分があったのでしょう。

もう麻酔が嫌いで嫌いで仕方ありません!!

 

目を覚ますと、夫も仕事が終わり来ていました。

ですが丁度、消灯となってしまいみんな帰されると。

 

「なんで帰るの!!」(こんな苦しんでいるのに!)

 

とわたし。

 

看護師さんが「もう消灯なのよ~大丈夫だから」と言ったのを

 

物凄い形相でにらみ付けたらしいわたし。

 

看護師さん「どうしたの~そんなににらみ付けて~」

 

www

これは今でも母と夫の笑い話です…。

 

 

その夜は吐き続けてほとんど眠れませんでした。

そして朝になると、今度はなんか下腹部が猛烈に痛い・・・

お小水を出すための管??がついていることに気づきました|д゚)

 

看護師さんに痛いと伝えましたが、ちらっと見て、まあちょっとつっぱるかもしれませんがこんなもんですと。

こんなもんかー…泣

と我慢してしばらくすると別の看護師さん。

 

立てますか?歩けそうなら、この管を取って大部屋に移動しましょう。

 

と良い提案を!!

立てなくても歩けなくてもこの痛みから解放されたい!!

と起きようとするも

感じたことのない痛みで起きれない!!

腹腔鏡とは言え、お腹に三か所メスを入れているのだから当たり前ですね…

看護師さんに支えられて、わたしはこの時の為に鍛えてきたんだ!と言わんばかりに立ちあがる!!(;_;)/

立ったー!!!

 

感動もつかの間

 

「これ、管がねじれて途中でつまってましたね、大丈夫でしたか?」

 

あああーん!?( ゚Д゚)💢

 

殺意に変わりました。

もうこの時ばかりは痛みより怒り。

 

術後のみ個室で、朝そそくさと元の大部屋に戻りました。

お腹の傷は痛むけれど、臓器同士がくっついて癒着というのを起こしてしまうため、無理してもなるべく早くに動かないといけないんですって。

トイレも辛かったなあー

とにかくお腹に力入れられないんですよ、笑っても痛い。

 

昼間も寝たきりなので、体力が有り余って夜は本当に眠れない。

そして古い病院なので怖い!w

 

もう家が恋しくて早く帰りたくて、次の日からわたしが決行したのは

ナースセンターの前をちょろちょろ歩いて元気アピール。

いつ退院ですか?と来る看護師さんみんなにアピール。

 

結果、2日早く退院が決まりました。w

 

お風呂の許可もでたので、退院前日に一回だけシャワー入れました。感動。

普通のことがこんなに幸せに感じるなんて。

 

ちなみに入院手術で支払ったお金は医療保険も適用されたので、ほとんどなしくらいです。

数万円くらいだったような気がします。

 

見栄を張って退院したものの、なかなか痛みになれず、スーパーで痛み出し車椅子を使ったこともありましたが…

 

その後抜糸も終わり、1か月後の経過観察で異常はなしと。

そして

 

なんと子宮頸がんのがん細胞が消えている!!

 

と言われました。

消えることなんてあるんだ!!とこの時は本当に感動しました✨

 

そしてもう今回で終わりですね、もう来なくていいですよ。と。

 

喜んで診察室を出たものの、

 

ん?右の腫瘍の件はどうなっているんだろう、と。

受付にもう一回確認してもらうよう伝えたところ、

先生が心配ならまた1か月後来てくださいだそうです。

 

心配ならって!

色々お世話になりましたが、色々不審に思うこともあったので

これを機にわたしはこの病院とはおさらば!

 

 

手術も終わり、妊娠・出産も視野に入れていたので、この年の子宮頸がん検診からは

出産はここがいいなあ~と以前から思っていた産婦人科に行こう!

そこで腫瘍の経過も診てもらうことにしたのでした。

 

 

なが~くなりましたが

わたしの子宮頸がん発見から、卵巣嚢腫摘出手術までのお話しでした。

お付き合いいただき、ありがとうございました✨

 

 

 

現在  11W0d

無知で目茶苦茶なアスリート時代

こんにちは(^^)

今日は、わたしのあまりにも無知で目茶苦茶だった10代からのアスリート時代について少し書こうと思います。

 

本格的に競技を始めたのは12歳、小学校6年生の頃でした。

そこから23歳までの11年間はほとんど休むことなくトレーニングを続けていました。

体重制限のある競技でしたので、試合に出場するために初めて【減量】というものをしたのが高校2年生の頃。

しかしその頃、落とすのは3キロ程度で、試合3日前から食べずにサウナスーツで走りこむ等すれば落ちました。(←今思えば、成長期にかなり良くない)

何回か減量すると体重がなじんで減量は必要なくなりました。

 

沢山食べて沢山トレーニングする。

非常に良いコンディションだったと思います。

 

しかしこの頃から、生理とは別の日に出血する【不正出血】を起こしていました。

生理痛は辛かったですが、同級生には生理痛で熱が出て早退したり欠席したりしている子もいたので、自分は全然平気な方なんだとは思っていましたが、

少し怖くなったので、なんとなく目についた婦人科を受診。

 

余談ですが…

そこがなんと12年後の現在不妊治療に通うことになったその病院だったのです!!( ゚Д゚)

私自身覚えていなくて、先生がカルテを見て言ったことで思い出しました( ゚Д゚)

 

そしてその不正出血ですが、卵巣が腫れているね。と言われ、大きな病気ではないことがわかったので、病院はそれっきりでした。

多分また来るようにと言われたはずですが…これこそ無知!!大したことないと思い行かなかったのでしょう…><

(のちに卵巣嚢腫と分かる)

 

そのまま大学は地方から東京へ。

本格的に競技は厳しいものになっていきました。

減量も2キロから6キロ。6キロから8キロ。

一番落とした時は11キロ…

毎回、試合前は一ヵ月近く本当に少量でエネルギーになるものをグラムで測り補給して、いつも以上の強度のトレーニングをこなす。という落とし方。

身体は疲労困憊なのに空腹と緊張感で夜も眠れない。

当然ですが、本当に本当に精神的に過酷でした…

今考えると、そんな減量方法で一体どんなパフォーマンスが出来るって言うのだろうと。ちょっとあり得ません。

だけど、当時のわたしは勝負のことばかりで、減量方法については考えたことがありませんでした。

 

その後成績が認められるようになり、トップクラスの選手と対戦するような舞台が続くことになります。

 

毎回10キロの減量。

 

そしてとうとうその頃から、生理が来なくなってしまいました。

たまに突然の出血、生理来たかな?と思っても、一日で止まってしまう、つまり不正出血ですね。

腹痛、めまい、吐き気、いつも鬱々とした気分。

上記の症状がひどい時は動くことが出来ず、思うような練習も出来ない状態が続く。

 

また当時は精神的にも相当追い込まれていました。

次、勝たなければ。上手くやらなければ。

いつも孤独で、誰にも弱みなんて見せられなかった。

 

そのうちに、おでこに今までみたこともない数の真っ赤な湿疹が出来ました。

病院に通っても何をしても治らない。

前髪で必死に隠してましたね。

 

当時住んでいた場所の周辺では、誰に見られてしまうかプライバシーもあまり守れないと思ったので、神奈川まで行って婦人科を受診したことがありました。

 

そんなに体重を減らして、生理が止まりましたと。

当たり前でしょう。

このままだと子供も産めなくなりますよ。

 

婦人科の先生は、何をやっているんだというような感じでした。

わたしはわたしでその頃、人生をかけてやっていたので、そんなことは気にしていられない。

もう病院に行くのはやめたのでした。

 

ただ数年経ち、状態が悪くなった頃から、その言葉が蘇るようになっていきました…

 

夢中でやっているときは、目先のことに必死で、先のことなんて考えないのです。

 

年齢もまだ若く未熟でしたし、人間は当たり前に結婚して、当たり前に子供を産むのだと。

そう思っていたのです。

 

そうして走り続け、ふと気づいた時には

 

【そんなこと続けていたら、子供なんて産めなくなりますよ。】

 

先生の言葉が突き刺さるようになっていました。

 

すべてをかけていたはずなのに。

 

【子供が産めなくなったら、誰かが責任をとってくれるんだろうか…】

 

そう思った時、わたしの中で何かが終わってしまったのでしょう。

 

元々、もし自分が中途半端な気持ちになって

自分の全てをかけられなくなったら

その時が引き際だと、引退しようと決めていました。

それがプロという舞台と、毎日もがきながら練習している他の選手への敬意だと感じていたからです。

 

 

こんなこともありました。

事務所の上司の男性に意を決して体の状態を話したとき。

男性社会だったことも災いしたのでしょう、

おかしな噂をたてられ、わたしの練習環境が益々悪くなってしまいました。

これは、まさかの事態に想像以上に辛かったです。

 

それでもまだ、最後の意地だけでトレーニングに通い続けていました。

当時はわたしにとっては、それがすべてだったのです。

 

体はどんどん動かなくなっていく一方で

それを誰かに話すこともなく

既に決まっていた2試合を終わらせた翌日、事務所の荷物をすべて持ち帰り、辞めました。

 

噂が回るのは早く、色んな方から

うちでまたやらないか?と声を掛けていただきました。

幸せなことだと感謝しながら、みなさんには御断りさせていただきました。

 

心がついていかない。

関連するもの全て見たくもないのです。

 

その後は空っぽのような状態になってしまい

色々と本当に大変な時期でしたが、助けてくれた方が何人かいてくれたおかげで今に至ります。

 

 

話しは大きくそれてしまいましたが笑

当時のわたしはあまりにも無知で、体も心も目茶苦茶な状態でした。

 

ちなみにですが、わたしの通常体重は全く痩せてはおらず、平均体重プラス5~7キロくらいです。

人より重いから、体重を落とすのは簡単でしょうとか、食べなければ落ちる、という考え方は違う。

 

というのは、競技を離れ二度と減量はしたくないししないと誓ったわたしでしたが

突然ハードなトレーニングを辞めれば当然体重は増えて行く、、

そこで知り合いのスポーツトレーナーの元、しっかりした食事とトレーニングで、

ちゃんと自分の適性体重に戻りました。

 

素人が知識もなく減量するというのは本当に恐ろしい話しだと今、改めてそう感じるのです。

 

また現在指導者として

主に初心者からアマチュア選手を見させてもらっていますが

初期段階の試合から減量を軸に考えている方があまりに多い。

減量の前に体が出来ていないので

こなさなければならないトレーニングは山積みですし

それには、それをこなし体を作っていくためのエネルギーが必要=食事なのです。

もっと厳しい言い方をすれば

そのレベルで減量しなければ勝てないようでは

この先はお話しにならないということです。

それは競技の話しなので置いておき。。笑

 

 

もちろん、結婚や出産を考えたとき、女性には決断をしていかなければならないことがあると思います。

 

わたしは結果的にですが、あの時、競技を辞めて本当に良かったと、今、思います。

 

そして、競技をやっていて良かったとも思うんです。

辛いことの方が正直多かったですが

孤独で辛い選手生活があったからこそ

多くの方に注目していただき応援していただくことが出来、

また自分自信も一つずつ突破していけた時の喜びは他の何にも変えられない幸せでした。

影のないものに光など当たらない世界です。

競技生活はわたしの人生そのものでした。

 

そんなわたしの今の仕事は女性専門のトレーナー・ちびっ子にとっては先生です。

 自分の経験を生かして生きていけることを、また幸せに思います。

 

ただ、これは結果論です。

危険な局面にいたことには変わりないのです。

 

みなさん、自分の体にはよく耳を傾けて生活してほしいと思います。

 

というわけで、本日もお付き合いいただきありがとうございました!

 

 

現在 8w5d

ブログ設立にあたって

はじめまして。

わたしは不妊治療を経て、現在妊娠に至ることが出来ました29歳です。

不妊治療はわたしにとって、人生にとっても非常に大きな出来事。

普通に生活をしていたそれまでとは考え方も変わりました。

 

自分にとってこんなにも大きな出来事。記録しておきたい。

そして、もし誰かの役に立つことが出来たなら、それは本望だと。

 

そう考え、ブログを設立することにしました。

 

また、治療に関してインターネットで調べ物をしていると

【検索魔】

というワードをよくお見掛けします(^^)

 

わたしもまさにその検索魔。

現在も不安定な状態が続いているため、進行形の身であります!笑

 

ただ、なかなか確かな情報にたどり着くことがわたしの場合は難しかったんですね。

(調べ方に問題があったのかも…)

ということもあり、わたしの実体験を挙げていきたいと思っている次第です!

 

自分の考え方でしか物を書くことが出来ないので、気分を害されるようなことがありましたらお許しください。

 

それでは今日はこの辺で!

 

 

 

現在 8w0d