わたしの不妊治療から妊娠に至るまで

不妊治療から妊娠、出産までの奮闘記です。※現在は2人目の顕微授精頑張っています。専門用語よく間違えていますのでご了承ください。

無知で目茶苦茶なアスリート時代

こんにちは(^^)

今日は、わたしのあまりにも無知で目茶苦茶だった10代からのアスリート時代について少し書こうと思います。

 

本格的に競技を始めたのは12歳、小学校6年生の頃でした。

そこから23歳までの11年間はほとんど休むことなくトレーニングを続けていました。

体重制限のある競技でしたので、試合に出場するために初めて【減量】というものをしたのが高校2年生の頃。

しかしその頃、落とすのは3キロ程度で、試合3日前から食べずにサウナスーツで走りこむ等すれば落ちました。(←今思えば、成長期にかなり良くない)

何回か減量すると体重がなじんで減量は必要なくなりました。

 

沢山食べて沢山トレーニングする。

非常に良いコンディションだったと思います。

 

しかしこの頃から、生理とは別の日に出血する【不正出血】を起こしていました。

生理痛は辛かったですが、同級生には生理痛で熱が出て早退したり欠席したりしている子もいたので、自分は全然平気な方なんだとは思っていましたが、

少し怖くなったので、なんとなく目についた婦人科を受診。

 

余談ですが…

そこがなんと12年後の現在不妊治療に通うことになったその病院だったのです!!( ゚Д゚)

私自身覚えていなくて、先生がカルテを見て言ったことで思い出しました( ゚Д゚)

 

そしてその不正出血ですが、卵巣が腫れているね。と言われ、大きな病気ではないことがわかったので、病院はそれっきりでした。

多分また来るようにと言われたはずですが…これこそ無知!!大したことないと思い行かなかったのでしょう…><

(のちに卵巣嚢腫と分かる)

 

そのまま大学は地方から東京へ。

本格的に競技は厳しいものになっていきました。

減量も2キロから6キロ。6キロから8キロ。

一番落とした時は11キロ…

毎回、試合前は一ヵ月近く本当に少量でエネルギーになるものをグラムで測り補給して、いつも以上の強度のトレーニングをこなす。という落とし方。

身体は疲労困憊なのに空腹と緊張感で夜も眠れない。

当然ですが、本当に本当に精神的に過酷でした…

今考えると、そんな減量方法で一体どんなパフォーマンスが出来るって言うのだろうと。ちょっとあり得ません。

だけど、当時のわたしは勝負のことばかりで、減量方法については考えたことがありませんでした。

 

その後成績が認められるようになり、トップクラスの選手と対戦するような舞台が続くことになります。

 

毎回10キロの減量。

 

そしてとうとうその頃から、生理が来なくなってしまいました。

たまに突然の出血、生理来たかな?と思っても、一日で止まってしまう、つまり不正出血ですね。

腹痛、めまい、吐き気、いつも鬱々とした気分。

上記の症状がひどい時は動くことが出来ず、思うような練習も出来ない状態が続く。

 

また当時は精神的にも相当追い込まれていました。

次、勝たなければ。上手くやらなければ。

いつも孤独で、誰にも弱みなんて見せられなかった。

 

そのうちに、おでこに今までみたこともない数の真っ赤な湿疹が出来ました。

病院に通っても何をしても治らない。

前髪で必死に隠してましたね。

 

当時住んでいた場所の周辺では、誰に見られてしまうかプライバシーもあまり守れないと思ったので、神奈川まで行って婦人科を受診したことがありました。

 

そんなに体重を減らして、生理が止まりましたと。

当たり前でしょう。

このままだと子供も産めなくなりますよ。

 

婦人科の先生は、何をやっているんだというような感じでした。

わたしはわたしでその頃、人生をかけてやっていたので、そんなことは気にしていられない。

もう病院に行くのはやめたのでした。

 

ただ数年経ち、状態が悪くなった頃から、その言葉が蘇るようになっていきました…

 

夢中でやっているときは、目先のことに必死で、先のことなんて考えないのです。

 

年齢もまだ若く未熟でしたし、人間は当たり前に結婚して、当たり前に子供を産むのだと。

そう思っていたのです。

 

そうして走り続け、ふと気づいた時には

 

【そんなこと続けていたら、子供なんて産めなくなりますよ。】

 

先生の言葉が突き刺さるようになっていました。

 

すべてをかけていたはずなのに。

 

【子供が産めなくなったら、誰かが責任をとってくれるんだろうか…】

 

そう思った時、わたしの中で何かが終わってしまったのでしょう。

 

元々、もし自分が中途半端な気持ちになって

自分の全てをかけられなくなったら

その時が引き際だと、引退しようと決めていました。

それがプロという舞台と、毎日もがきながら練習している他の選手への敬意だと感じていたからです。

 

 

こんなこともありました。

事務所の上司の男性に意を決して体の状態を話したとき。

男性社会だったことも災いしたのでしょう、

おかしな噂をたてられ、わたしの練習環境が益々悪くなってしまいました。

これは、まさかの事態に想像以上に辛かったです。

 

それでもまだ、最後の意地だけでトレーニングに通い続けていました。

当時はわたしにとっては、それがすべてだったのです。

 

体はどんどん動かなくなっていく一方で

それを誰かに話すこともなく

既に決まっていた2試合を終わらせた翌日、事務所の荷物をすべて持ち帰り、辞めました。

 

噂が回るのは早く、色んな方から

うちでまたやらないか?と声を掛けていただきました。

幸せなことだと感謝しながら、みなさんには御断りさせていただきました。

 

心がついていかない。

関連するもの全て見たくもないのです。

 

その後は空っぽのような状態になってしまい

色々と本当に大変な時期でしたが、助けてくれた方が何人かいてくれたおかげで今に至ります。

 

 

話しは大きくそれてしまいましたが笑

当時のわたしはあまりにも無知で、体も心も目茶苦茶な状態でした。

 

ちなみにですが、わたしの通常体重は全く痩せてはおらず、平均体重プラス5~7キロくらいです。

人より重いから、体重を落とすのは簡単でしょうとか、食べなければ落ちる、という考え方は違う。

 

というのは、競技を離れ二度と減量はしたくないししないと誓ったわたしでしたが

突然ハードなトレーニングを辞めれば当然体重は増えて行く、、

そこで知り合いのスポーツトレーナーの元、しっかりした食事とトレーニングで、

ちゃんと自分の適性体重に戻りました。

 

素人が知識もなく減量するというのは本当に恐ろしい話しだと今、改めてそう感じるのです。

 

また現在指導者として

主に初心者からアマチュア選手を見させてもらっていますが

初期段階の試合から減量を軸に考えている方があまりに多い。

減量の前に体が出来ていないので

こなさなければならないトレーニングは山積みですし

それには、それをこなし体を作っていくためのエネルギーが必要=食事なのです。

もっと厳しい言い方をすれば

そのレベルで減量しなければ勝てないようでは

この先はお話しにならないということです。

それは競技の話しなので置いておき。。笑

 

 

もちろん、結婚や出産を考えたとき、女性には決断をしていかなければならないことがあると思います。

 

わたしは結果的にですが、あの時、競技を辞めて本当に良かったと、今、思います。

 

そして、競技をやっていて良かったとも思うんです。

辛いことの方が正直多かったですが

孤独で辛い選手生活があったからこそ

多くの方に注目していただき応援していただくことが出来、

また自分自信も一つずつ突破していけた時の喜びは他の何にも変えられない幸せでした。

影のないものに光など当たらない世界です。

競技生活はわたしの人生そのものでした。

 

そんなわたしの今の仕事は女性専門のトレーナー・ちびっ子にとっては先生です。

 自分の経験を生かして生きていけることを、また幸せに思います。

 

ただ、これは結果論です。

危険な局面にいたことには変わりないのです。

 

みなさん、自分の体にはよく耳を傾けて生活してほしいと思います。

 

というわけで、本日もお付き合いいただきありがとうございました!

 

 

現在 8w5d